第二回「武里」(埼玉県春日部市)

■「なりた」→「たけさと」

北千住から東武伊勢崎線区間準急に乗り、春日部の二つ手前の駅「武里」へ。

竹の塚を過ぎ、草加を過ぎ、新越谷くらいまでは車窓から見える景色にそれほどの変化はないように感じます。駅前には中層ビルやデパートなどが並び、駅を過ぎると住宅街となり、高い建物もそれほど見えなくなり、フラットな景色が続くような、都心からそれほど離れていない郊外の町並みです。北千住から乗った乗客は、越谷あたりまででほとんど降りてしまいました。

北越谷を過ぎると、線路は高架から地上に下り、駅舎もローカルなものになります。地上を走るせいか、それまでの景色よりも建物と建物の間に余裕があるように見え、どことなく土っぽい「関東感」が強く漂います。


武里駅に着き、改札を目指し階段を上ると、ガラスケースに陳列された「かすかべの特産品」コーナーがあります。中には桐箱、帽子、羽子板などが飾られていました。



改札を抜けると、薄暗い構内にお店が並んでいました。マックと床屋と、その奥に本屋があります。



やみくもに武里に来たので、駅周辺の地図を見て、当面の行き先を決めます。西口に「武里団地」がありました。



とりあえず「武里団地」に向かうことにして、西口に出ます。




駅前のロータリー。



広域避難場所の地図を見ると、武里春日部市越谷市の境にあるようです。



西口から団地に向かう途中に「平成通り商店会」があります。

平成通り商店会には、ラーメン屋、そば屋、喫茶店、和菓子屋、本屋、コンビニ、ショップ99、花屋、銀行、美容院、薬局、整骨院などがあり、ひと通りのお店が揃っているようでした。シャッター通りというほど、閉まっているお店もなかったような気がします。ただ、平日の午後ということもあり、賑やかさはありませんでした。



平成通り名店会を抜けると、団地の入り口です。



かなり巨大な団地です。

武里団地(たけさとだんち)は、埼玉県春日部市大枝にあるUR賃貸住宅。最寄り駅は、東武伊勢崎線せんげん台駅武里駅。 1963(昭和38)年竣工、1966(昭和41)年より管理開始。現在の総戸数は6,219戸(賃貸5,659戸 分譲560戸)。棟別戸数は1街区 1380戸、2街区116戸、3街区966戸、4街区414戸、5街区560戸、6街区1176戸、7街区111戸、8街区810戸、9街区586戸。住居は、中層棟が中心で、数棟だけ高層棟も存在する。ボックス型ポイントハウスもある。2006年に、外壁が塗装し直された。団地内に行政・社会福祉機関が存在する。(Wikipedia)




団地の真ん中を走る目抜き通りに沿って歩いていくと、通りを挟んで両脇に「武里団地名店会」の看板が見えます。こちらは駅から歩いて来て、左側に見えた名店会。



看板横の階段を上がって二階から眺めた広場。その両脇一階部分が名店会。



開いていたり開いていなかったり。


団地の敷地内には名店会の他に、医者、学校、保育園、図書館、郵便局、福祉施設、公園など生活に必要な施設がほとんど揃っているようでした。これだけ広いのだから当然かもしれませんが。ニュータウン的な便利さというか、団地の中だけでひとつの完結した地域社会を形成しており、練馬の光が丘のように、町として機能しているような感じです。お店はシャッターを閉めているところも多く、かつての賑わっていた頃の姿をしのばせもしますが、不思議と寂れきっているといった印象は受けませんでした。平日の午後ということもあって、敷地内を歩いている人は、老人、子供、若い主婦の方がほとんどでしたが、緩慢とした時間が流れ、これはこれで、何かひとつの充足した世界のように思いました。寂れた印象を持たなかったのは、そのせいかもしれません。閑散としていても、あまりネガティブな印象は受けませんでした。もちろん、実際に住んでいる方たちはまた異なる感じ方をしているかもしれませんが。



緑も多く、やはり効率的な生活空間です。



どこまでも団地が続いています。



敷地内の一角で、八重桜が満開を迎えていました。団地の住人の方か、ご老人がベンチに座ってお花見をしていました。



三時頃、町内のスピーカーから「春日部市役所からのお知らせです。良い子のみなさん、事故に遭わないよう、気をつけてかえりましょう」というアナウンスが流れてきました。



Wikipediaにあった、ボックス型ポイントハウス。べつに団地マニアではないので、このような形の建物が公団住宅には割とポピュラーだということを初めて知りました。



郊外から郊外へ。


団地を歩いたあとは、武里団地のない武里も見てみたいと思い、再び駅に戻り、東口方面に向かうことにしました。来るときには気付かなかったのですが、団地の入り口のそばに、新しい建売り住宅の建ち並ぶ一角がありました。武里の町を構成する、団地とは異なる生活の層です。




これも来る時は気がつかなかった、古そうな倉庫を利用した、何か。



東口にも商店会がありました。武里では商店「街」ではなく「会」がメジャーなようです。道の両側に焼き鳥屋やスナックといった、飲み屋が並んでいます。
この看板から少し行ったところで、向かいから来た十代後半くらいの少しゴス系の格好をした女の子が突然、誰に言うともなしに割と大きな声で「さてと、歌のレッスン行くか!!」と叫んでいました。



飲み屋の多い通りをさらに行くと川があり、橋を渡るとしばらく住宅街が続いているようでした。


もう少し普通の町並みの中を歩きたい気もしたのですが、団地内を割と歩きまわったおかげで疲れが出てきたのと、平日の夕方にカメラ片手に住宅街を歩くことのリスクを考え、駅に戻ることにしました(人の生活圏に立ち入るということは、その内側に暮らす人たちにある種の脅威をあたえることにもなりかねません。町歩きの際はそうした点で気を使う必要があるように思います。とくに都市的な場から離れれば離れるほど)。


郊外の住宅街自体はどこもそう変わらないかもしれませんが、その住宅街の置かれた環境や歴史は、様々なはずです。武里の住宅街は「団地のある町の団地じゃない町」として存在しており、一つの駅を中心とした生活圏の中に、団地とはまた異なる町の層を形成しています。そうした町の層の現れ方は、町々で異なり、そこに住んでいる人の意識や身体の在り方にも深く作用しているような気がします。私たちに影響する町の様々なかたち(そしてそこに住む私たちの生活)こそ、関東の町歩きで見、そして何よりも肯定したいと思うものでもあります。

(た)